入院騒動の記録(14):なんその法

“しのご”にとっては長い、実に長い10日間の入院だった。その入院騒動の記録も今回で最終回になる。

入院中、あることをふと思い出して、午前中に2回、午後は2〜3回、夜間には2回ほど実践してみたものがある。江戸時代の白隠禅師が、その著書・夜船閑話に記した健康法「なんその法」である。なんその法とは、激しい禅の修業の結果、体調を崩した白隠禅師が行って健康体を取り戻したという健康法である。どこやらの仙人に教えてもらったらしい。

やり方は、ベットに横になって、まず生暖かく黄色くバターのような拳大の「なんそ」が額にあると観想する。やがて、このなんそはドロドロと溶け出し、頭の中へ染み込んでいく。頭であれば、例えば眼球にも染み込んでいき、汚れをきれいに洗い流してくれるように観想する。なんそは頭から首、手、胴体(もちろん内臓に染み込んでいく)、足先へと体内の汚れをぬぐいながら流れていく。足先から流れ出したなんそは、体の下に溜まり、体を浸すようになってくる。やがて、なんそはベットから下へ滴り落ちていく。他にも、なんそが足先まで来たら再び頭へ戻どして、額で元通り拳大の塊になると観想する方法もあるようだが、どれが正しいのかはわからない。

ともかく、過去にある本で、こんな話を読んだことがある。まだ結核の治療法が十分に確立されていなかった第二次大戦後、入院はしていてもやけになっている他の結核患者を尻目に、この著者は1日中なんその法を続けたという。その結果、この著者は、その当時ではめずらしく結核を克服したらしい。

“しのご”のつたない知識からすれば、現代でいうなら自律訓練法と病巣が消えていくイメージコントロール法を組み合わせたような方法だろうか。この話を思い出して、やってみたのだった。最初はなんそをイメージすることができなかったものの、3日目ぐらいになるとコツが飲みこめてきた。体の一部に染み込んだら、そこから流れ出して、他の部位に移るというやり方がもっともやりやすかった。

さて、この「なんその法」。効果はあったのだろうか? 結核のような大病を患ったわけでもないし、点滴を受けながら横になっていれば、よほどのことがない限り誰でも回復できるような病だったわけだ。効果は、とりあえず今回は不明というよりほかない。

入院騒動の記録(13):体温の変化

朝6時起床。7時からの朝食後、だいたい8時ごろになると朝の検温がある。体調の変化は体温に連動するからだろう。入院3日目ごろから、自分で小まめに体温を測ってみた。

起床時の体温は35.8度。体を動かせば体温は上がるし、おかゆのような暖かい食事を摂れば、これまた体温が上がる。食事前は36.1度、食事後の検温時間にはだいたい36.4度前後に上昇するのだった。これは昼過ぎと夕食後の検温でも、0.1〜0.2度程度の変化で大きく変化することはなかった。

入院してから、この体温の変化を看護婦さんも医者もそこそこ重視していることに気が付いた。低体温は別として、体温が低く安定していれば病状も回復基調にあると判断してもらえるのではないだろうか。そんな考えを抱くには十分な検診状況だったのだ。

そこできちんと模範患者のようにしている”しのご”は、起床時の体温を申告することにした。特に朝の検温結果は自己申告だし、体温を測っていない患者には検温をするように指示するだけ。つまり、起床時から看護婦さんが検温結果や排便などの状況調査を聞きに来るまでの間に検温しておけばよいのだろう。

これで”しのご”は毎日35.8度前後の体温を申告し続けた。実際に、その程度でもあったのだ。しかし、思いとは裏腹に検温結果で、例えば普通食に戻る期間や点滴期間の短縮、なにより退院までの期間短縮には、まったく貢献しなかったようだ。

入院騒動の記録(12):無意味な携帯電話規制

もちろん病院内、病棟内は携帯電話禁止である。そして当然のことのように、入院患者で携帯電話の電源を切っている者はいない。

携帯電話の使用許可エリアは、病棟の各階に設けられたロビーのみ。患者も見舞い客も、ここで通話することとなる。このエリアには公衆電話が2台設置されているのだが、高齢者以外で使用している人を見かけることは1度もなかった。

入院患者のいる各病室内はといえば、さすがにみなさん、いわゆるマナーモードに設定している。電話がかかってきたともなれば、小さい声で「いま病室なんで・・・」などといいつつ、病室を出てロビーへ向かう。

圧倒的に使われていたのは携帯メールだった。みなさん、しばらくの間じっとキーを押しているから、そうなんだろう。“しのご”も、この携帯メールにはお世話になった。まずは、仕事の関係先には、すべて携帯電話から入院してしまった旨をメール送信。家族とも友人とも、ほとんどのコミュニケーションは携帯メールだったわけだ。特に、消灯時間もはるかに過ぎた深夜の会話でも大活躍した。

それでも携帯メールは使う人と使わない人がいたのだが、年齢別や性別でその使用傾向を推し測ることはできなかった。

では病院関係者は注意しないのか。看護婦さんも慣れたもので、それとなく聞こえてきた会話に口を挟む。ある患者が病室内で「病室は○○○号室だから・・・」などと小声で言っていると、「聞こえちゃったけど、ここは□□□号室ですよ」などと言う。携帯電話禁止などは、いったい何のためにあるのだろう。

過去記事で「携帯電話の電源は切っているか?」にも書いたが、現在の携帯電話の使用状況から見れば、医療機関では誤作動を起こさない機器の開発を急いだ方が良いということらしい。

病院内で携帯電話が一番危険と思われる場所は、手術室やペースメーカーなどを埋め込んでいる患者の病棟だろう。入院期間中、これらの場所へ行くことはなかった。だいたい用もないのに手術室周辺をウロウロしたり、他の診療科の病棟を見学する(?)勇気はない。

入院騒動の記録(11):気力復活への兆候

入院中、病状が改善され気力が回復してきた兆しは自覚できる。もちろん、実際に検査結果から導き出された病状の改善ではないのだが、病は気から式で言えば、病の克服に大いに貢献するのではないだろうか。

まず最初に現れた兆候は「コーヒーが飲みたい」だった。なにしろ2日間以上の絶飲食状態を経験し、3日目あたりから水あるいはお茶のみが許可された。4日目の検診後、ようやく何を飲んでも良いとの許しを受け缶コーヒーを飲む。このときの状況は「入院騒動の記録(6):味覚がリセット?」で述べた。

次に訪れた兆候は「塩分が欲しい」。おかゆではあるが食事を許可されてから2日間はガマンしたが、特に食事制限をしなければならない病でもない。そう考えて、売店から勝手に食卓塩とメンマなどの食材を買ってきて食事をする。

万が一、何らかの障害があると困る。だから、わざと看護婦さんの目に留まるように堂々とベット脇に並べておいたのだが、注意はされなかった。

ついには酒、タバコの類だけど、これはさすがに退院時までご法度とする。不思議と、そう飲みたいとも思わなかったのは、病院の中に隔離されているという環境がそうさせるのかもしれない。

病棟の消灯時刻は午後9時。こんな時間には泥酔でもしていない限り、寝たことがない。こればかりは長年のライフサイクルのためか、昼間もベットでうつらうつらしているためか、ともかく眠れない。それでも入院当初は0時を過ぎると眠りにつけたが、回復するにつれて1〜2時を過ぎないと眠れなかった。

なんといっても普段のライフスタイルが目覚めてくれば、回復している自分が自覚できるし、気力も沸いてくるのだった。

入院騒動の記録(10):気力がなえること

入院していて、一番うれしいことは、何より自分の病状が回復していることを自覚することだった。自覚症状として痛みがなくなること、客観的には検温や血液検査の結果といったものが挙げられるだろう。

回復基調が自覚できれば、何といってもまず食事が気になってくる。普通の食事がしたいというわけだ。当初の絶飲食から三分がゆ、五分がゆと進んできて、いよいよ普通食になると喜んでいた。しかし、ドクターは慎重だ。多少病状が改善されたからといって、すぐには普通食には戻さない。

そう全がゆというものがあったのだ。三分がゆ、五分がゆとくれば、次は普通食と思っていたのだが、全がゆがあり、それを知らなかったわけだ。病状回復、それを実証するのが食事内容となれば、気力もわいてくる。ところが、まだ病人食が続くと思うと、せっかくの気力も急速にしぼんでくる。

ともかく、これにはひどくガッカリした。病気の治療には、知らないことを知るということも重要だが、少々の壁があったにしてもあきらめない、粘り強いタフな精神力も必要だった。

Profile

しのご
しのご
業務日誌ですから、業務のある日は毎日更新する(?)はずです。

New Entries

Comment

Categories

Archives(295)

Link

Search

CONTACT