SEO対策の実戦的独習方法

あるメルマガを読んでいて驚いた。「SEO対策セミナー開講、受講生募集中」なんだそうだ。こんなのセミナーの企画ネタになるなんて考えられなかったし、大金を払って受講する人なんているのだろうか? 受講する人の頭脳は思考停止状態か。

では“しのご”はどうなんだと問われそうなので、SEO対策の実戦的独習方法を紹介したい。ただし、実戦的というとおりすでに自分のサイトを持っていることが大前提だ。

(1)SEO対策の概略把握
Google、Yahooなどの検索エンジンで「SEO対策 方法 やり方 解説 テクニック タグ」など何でもいい。これらをキーワードに検索すると、多数のSEO対策関連の解説サイトがヒットする。ここでSEO対策とは何なのか全体像を把握したい。特にテクニック解説があれば、重要と思われる内容を専用のソートを作ってメモする。ただし、ホームページ制作会社のSEO対策に関する自己PRページもヒットするが、これらは無視。だいじょうぶ、どうせ役に立つことなんかは書いていない。せいぜい「当社の制作するホームページはSEO対策バッチリ」程度だからだ。

(2)サイトのソース解析
これが一番重要。これはSEO対策を施していそうだと思われるサイトにアクセスし、ソースを表示させる。タグやソースの組み立てをひとつひとつ確認していく。そうすると、なんだこれと思われるタグ、ここに何でこんなものがと思われるものを発見できるだろう。それらを、そのままコピーしてGoogleで検索してみよう。ある、必ずある。それらを解説しているサイトは必ずある。それらも、重要だと思ったことはすべてSEO対策専用ノートへメモしておこう。

(3)自サイトを検索エンジンに登録
まだ自分のサイトを検索エンジンに登録していない人は、まず検索エンジンに登録しよう。それも複数サイトへだ。大手の検索エンジンは登録されるまで時間がかかるし、必ずしも登録されるとは限らない。そこで、こんなテクニック。Googleで「○○○ ポータルサイト」「○○○ リンク集」を検索してみる。そうすると、自己登録型のサイトがたくさんヒットするはずだ。それら自己登録型サイトへ自分のサイトをどんどん登録していく。なお、○○○は地域情報を提供しているのなら該当する地域名、趣味の分野であれば該当する趣味(例えば写真、ラジオ番組など)を記載すればいい。

(4)自サイトへの導入
(1)のSEO対策解説ページ、(2)のサイトのソース解析などの結果、メモした内容を参考に自分のサイトへ導入してみよう。ここは、ひとつ慎重に行ないたい。すでに検索エンジンへ登録してあるサイトであれば2〜5日ほどで、その劇的な効果に驚くことだろう。いままで検索エンジンにキーワードを打ち込んでも、どこに表示されているか分からなかったような状態から、運が良ければトップページに、運が悪くとも数ページ目には自分のサイトが表示されているはずだ。

(5)SEO対策の復習
この段階になったら本屋へ行って、SEO対策に関係する書籍を買ってこよう。見逃していたこと、気が付かなかったことが分かることだろう。そして、もっとも肝心で重要なSEOテクニックに関しては書かれていないことにも気付くはずだ。そう、それこそがノウハウと呼ばれるものであり、それは(2)のサイトのソース解析ですでに発見できていることだろう。

あとは(5)の復習で学んだことを自サイトへフィードバックさせていく、と同時に(2)で述べたとおり他の有益なサイトのソースを解析し続ける。そしてまた自サイトへフィードバックする。これの繰り返し。これだけの独習方法で、SEO対策のノウハウはほぼ身に付くに違いない。SEO対策独習のキーワードは「ネットのことはネットに訊け」だ。

身に付けたSEO対策を自分のサイトへ導入してみてどうだろう、検索エンジンの表示結果は? 少しづつ表示される順位が上がってきたはずだ。大金を払って机上のセミナーなんか受講するより、多少時間はかかるものの目に見えて効果を実感できるし、自分だけのSEO対策テクニックが身に付くというわけだ。

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とうとう炭労解散・・・

傘下の単組がひとつだけになっていた「日本炭鉱労働組合」(炭労)が、とうとう解散した。泣く子も黙るといわれた炭労もついに歴史を閉じた。

思えば80年代、“しのご”は国内石炭の担当記者として取材していた。当時のもっとも大きな取材対象は、北炭夕張新鉱の復活をかけた炭労の闘いだった。北炭夕張新鉱は、北炭の政商であった荻原氏が金を国庫から引き出し、北炭の存続を担ったヤマだった。特にオイルショック後、エネルギー自給を命題に石炭は注目を集めてもいたわけだ。

ところが北炭夕張新鉱は、炭鉱事故としては炭鉱史上3番目ともいわれるガス突出事故を起こす。国としては閉山、炭労はヤマの復活をかけた闘いとなったわけだ。

闘いの最終局面の舞台は霞ヶ関。通産省の門前には、当時の炭労、野呂委員長はじめ北炭夕張新鉱のヤマの男3名ほどがハンストを決行していた。国会の近くの会場では、北海道から上京してきたヤマの関係者100名ほどが決起集会を開き、長く続いてきた夕張新鉱復活へ向けた最終的な結論を決める重要局面を迎えていたのだった。おそらく誰もが「閉山」となることは分かっていた。しかし、どんなことがあっても口にはできない言葉である。

決起集会の壇上には岡田利春議員(当時、社会党の釧路選出議員)をはじめ炭労幹部、北炭夕張新鉱労組関係者が並び、喧々諤々の議論をしていたのであるが、それは堂々巡りの議論でしかなかった。つまり、どうやってヤマを復活させるかという命題に対して、解決策も手詰まりの状況だったからだ。

議論も2時間以上経過した頃だったろうか、1人のヤマの男が労組幹部に向かって怒鳴り声を上げた。
「あんたら、もう少し待て、もう少し待てというが、いつまで待てばいいのだ。黒手帳の期限だって、もうじき切れる」

外からの喧騒だけが静かに聞こえる重い沈黙だけが支配する空間。「閉山」という言葉を口にできない以上、誰もがうつむいたまま時間だけが経過していた。長い、それは長い沈黙の時間だった。

「みんな、北海道へ帰ろう……。そしてみんなで考えよう」

ポツリと力なく北炭夕張新鉱労組の委員長がつぶやいた。閉山という結論が出た瞬間、会場からは怒声も反論の声もなかった。ただ、会場にいた全員の声を押し殺してすすり泣く声だけが聞こえた。会場の雰囲気に同化していたのだろう、“しのご”も思わず涙をあふれさせていた。

その後、会場でどのような話し合いが持たれたのかは知らない。結論が出された以上、即座に通産省へ向かった。通産省内は、長期にわたった交渉に勝った(とでも言おうか)こともあり沸きかえっていた。先ほどまでもらい泣きをしてしまうような重い雰囲気の中から、にこやかな笑顔だけの通産省内に入ったとき、違和感を感じざるを得なかった。が、これは誰もが知っていたはずの結論の現実である。

この後、北炭夕張新鉱閉山、第八次石炭政策によって国内炭鉱の閉山へと進む。そして、ついに2004年11月、炭労そのものの存在も消えたのであった。

思えば、社会党(現社民党)も、この時期から退潮への道を進んだのだろう。岡田利春議員も社会党副委員長までに昇進したものの、いわゆる炭鉱票だけでは選挙に勝てないため酪農の票田を開拓し始めたが落選。国会へ復帰することはなかった。

新聞記事を読んだら岡田先生も79歳とか。当時は国会取材に便宜を図っていただいて、ありがとうございました。そして最後の北炭夕張新鉱労組の委員長、当時のメモを紛失してしまいお名前を忘れてしまって申しわけありません。炭労委員長はじめ事務局長、東京・中野区にあった炭労会館の職員の方々、当時は取材協力ありがとうございました。みなさんと新宿で飲んだときの「ヤマは涙、涙の歴史だけだよ」という言葉は忘れておりません。

そんなにバナーが必要ですか?

サイトの相互リンクともなると、相手から90%の確立で言われるのが「バナーを送ってください」というものだ。実際のところ“しのご”は、あまりバナーを使っていない。だから、サンゴー企画Online上のWebサイト情報源というリンク集においてもバナーはなし。

だいぶ昔になるが、アメリカでWebサイトを見る目の動きと実際の操作を分析した研究があったらしい。それによると、商品購入や会員登録などを促すナビゲーションは、Web制作者も大きく派手な色使いにしがちである。しかし、ネットユーザーはそれらを広告と認知しているため、Web制作者が期待するほどのクリック効果は上がらないというものだ。

つまり、Web制作者がどうしてもクリックして欲しいため派手に装飾したバナーは、かえってユーザーから見逃されがちで、これを「バナー盲目効果」というらしいのだ。そしてユーザーは、通常のナビゲーションから探す。さらに、ヘビーユーザーは最初から所期の目的を持っているため、ショートカットリンクがあったにしても無視する傾向にあるともいう。

だからバナーを使わないというわけでもないけど、バナーの多用は本来クリックして欲しいリンク先をバナー盲目効果によって消失させかねない。最近のFLASHのバナーは見ていて面白いけど、ただ面白いだけか……。

そんなこんなでサンゴー企画Onlineにはバナーはなし。どうしてもバナーをというのであれば、トップページにある画像でも使ってもらおうかな。つまり、これ・・・。

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「超」整理手帳、自作リフィル

みなさまご存知の「超」整理手帳。知らない方は、リンクをたどって見てください。

「超」整理手帳の特色は、自分で必要なリフィルをパソコンで自作できること。だから、自分だけの手帳にカスタマイズすることができるわけ。購入したての頃は非常に使いにくかったのだけど、使い慣れてくるともう手放せない。

サイト上で「超」整理手帳リフィル集を探しても、自分で必要なリフィルがなかったので作っちゃいました。それが「プロジェクトスケジュール管理表」です。“しのご”の業務上、プロジェクトが大きくなればなるほど、個々の制作物のスケジュール管理がむずかしくなります。

こういうプロジェクトごとのスケジュール管理リフィルはありそうでないし、あったとしても自分にピタッとマッチしない。であれば、そう作るしかない。詳しくは、この「プロジェクトスケジュール管理表」のリンクをたどって行ってください。

リフィルは自由にダウンロードして、さらにカスタマイズしようが何しようがかまいません。もっとも“しのご”用に作ったので、他の方の役に立つかどうかは不明です。

本物の仮面ライダーと石ノ森先生

テレビ東京のなんでも鑑定団の再放送を見ていたら、仮面ライダーのガチャガチャが出品されていた。高さはおおよそ1.8mぐらいか、おもちゃ屋の店頭に置いてあったのをもらったと出品者は述べていた。

仮面ライダーか……。それはそれは遠い昔、仮面ライダーの原作者である石ノ森章太郎先生の自宅に伺ったときのことを思い出した。

それは“しのご”が大学に入学したばかりのころだった。当時、“しのご”は仙台でUFOや超能力なんかを真面目に研究(?)するサークルに属していた。その研究サークルの顧問をしていただいていたのが石ノ森章太郎先生だった。

あるとき、研究サークルのメンバー有志は自殺の名所といわれる場所で、夜間に相当枚数の写真を撮影した。その写真には、期待通り怪発光体、場所が渓谷だったので周囲の木々や岩の隙間には人の顔と思しきものの集合体などが写っていたのである。これらの写真は顧問である石ノ森章太郎先生にも差し上げねばなるまい。写真をパネルに仕上げて東京、練馬の先生の自宅へ向かったのであった。

何しろ当時の“しのご”は大学に入学したばかりの世間知らずだ、当然アポなし。住所を頼りに自宅を探し出すと、「小野寺」という表札の家の玄関先には、そう高さが1.8mほどもあったろうか仮面ライダーのフィギヤがある。そう「小野寺」は石ノ森先生の本名、そして、これぞ本物の仮面ライダーだ。ここに間違いないだろうということでチャイムを押したのだった。

出てきたのは、お手伝いさんだったのかな? 「先生は徹夜したので、いま休んでおられる」とのこと。このとき11:00ごろだったろう。そうか先生は寝ているのか、先生はいる、運がいい。だから“しのご”は粘った。先生は当サークルの顧問でおられること、面白い写真を撮影できたので先生に差し上げたいこと等々を繰り返しアピールする。

粘ったおかげで、自宅内のアトリエに通されて待つこと20分ほど。石ノ森先生が頭をボリボリとかきながら登場したのであった。それから不思議なものが写ったパネル写真を見せながら、いろいろ話をしたのだが、残念ながらもう話の内容は記憶にない。ただ唯一、記憶に残っているのは「玄関先で漫画家志望の青年が会いたいといって動かないといわれたからなぁ」と語っていたことだ。そうお手伝いさん(?)は、いい方向に勘違いしてくれたのだ。それなら先生も会わずにはいられないだろうから。

およそ1時間の楽しい時間はあっという間に過ぎ、練馬駅へ向かって歩いていると、先生の車が通りかかった。これから家族で食事に行くらしく、練馬駅までなら乗せていくけどどうかという申し出だった。恐縮して辞退したのだけど、いまから思えばずうずうしく思われても乗せてもらえばよかった……。“しのご”も若かった(?)。

その石ノ森先生も亡くなった。いまは先生の故郷である宮城県中田町(近く町村合併予定)にある「石ノ森するさと記念館」で先生の作品に出会うことができる。

何でも鑑定団の仮面ライダー型ガチャガチャを見ていてよみがえった、石ノ森章太郎先生との楽しくもなつかしい思い出だった。

言い訳を述べる時間

何か問題を指摘された場合、“しのご”も含めて誰しもくどくどと言い訳をすることになる。

先日も、打合せの最中にデータはメールで送ると伝えたら、相手はメールを使える環境にないという。中小企業どころか零細企業であっても、いまなら業務においてネット環境は必要であろうになどとヤボなことは言わない。

困るのは、なぜメールを使える環境にないのかあれこれと言い訳を始めることだ。メールを使えないのなら、仕方がないではないか。にもかかわらず、数分後には記憶にも残らないような言い訳を3〜4分間にわたって聞かされるはめになる。

かつて、職場にすごい上司というか、言い訳のうまい上司がいた。問題点を指摘されると、最初はいい訳を述べているのだが、言い訳を述べている最中に巧妙に論点をすり替え、2〜3分後には指摘された問題点とは違った話題で相手を丸め込んでいく。レトリックの妙か?

この上司、どこでそんなテクニックを身に着けたのだろうか。話を聞いてみると、どうも学生時代は不条理劇の劇団員だったらしい。そうか、不条理劇の台詞まわしの延長だったのか・・・。

メールを使えない会社イコールできない会社という論旨の本が腐るほどある。メールが使えないからといって、使えぬ会社とは必ずしもイコールではないのに。インターネットの世界も不条理の世界か。

表記方法を教えてくれませんか

ある原稿を書いていて、ふと行き詰った。略式表記というか表示というか、書き方が分からない・・・。

例えば、「財団法人」なら「(財)」、「社団法人」なら「(社)」。同様に株式会社は(株)、有限会社であれば(有)と略して表記できるわけだ。では、最近、ますます増えてきた「独立行政法人」は、どのように略式表記するのだろう。「(独)」か?

一応、さらさらとネット上を探してみたのだけど、独立行政法人は「独立行政法人」だ。検索のキーワードに「略式表記」とか「略式表示」を入力すると、各独立行政法人名の略称がヒットしてしまう。キーワードの選択が間違っているとは思うのだが・・・。

まだ、独立行政法人の略式表記は一般的には使われていないのかも知れない。どなたか「独立行政法人」の略式表記を知っていたら教えてください。

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業務日誌ですから、業務のある日は毎日更新する(?)はずです。

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