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**「知的生産の技術」の再読に挑戦 [#mdf4120a]

プロジェクターを使ってプレゼンテーションを行う場合、プロジェクターと手元のノートPCに同じ画面を表示させている人がとても多い。そしてプリントアウトした用紙に話すポイントなどを書き込み、これを見ながら話しをしているわけだ。

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そんなことをしなくとも、プロジェクターにはプレゼンのスライドを表示させ、手元のノートPCの画面には話す内容を記載したノートを表示させる方法がある。みなさんにこの機能について伺うと、意外と知らない人が多い。 ;)


**再読で思うこと [#pcc246cb]
**再読ピックアップ [#pcc246cb]

***はじめに [#c0469813]

知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら――情報――を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ。
>>知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら――情報――を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ。


***1:発見の手帳 [#ebf9a7ff]
***1発見の手帳 [#ebf9a7ff]

なにごとも、徹底的に文章にして、かいてしまうのである。

一冊をかきおえたところで、かならず索引をつくる。



***2:ノートからカードへ [#z3bf43d1]
***2ノートからカードへ [#z3bf43d1]

そもそもあの大学ノートというものは、字体の簡単な英字ならいいが、画のおおい漢字をかくには、一般に線のあいだがせますぎるのではないだろうか。

一行おきでちょうどいいくらいである。

野帳(フィールド・ノート)をつける習慣がある。

この習慣が身についていないようでは、野外科学者としては全然はなしにならない。



***3:かーどとそのつかいかた [#p59ac161]
***3カードとそのつかいかた [#p59ac161]

カードは、ただそれにないかをかいて、保存しておけばいい、というものではない。カードは、活用しなければ意味がない。カードは”くる”ものである。

カードは、他人がよんでもわかるように、しっかりと、完全な文章でかくのである。

カードは、メモではない。

カードにもかならず日づけをいれる習慣をつけたほうがいいだろう。

カードは分類することが重要なのではない。くりかえし”くる”ことがたいせつなのだ。

カードというものは、つかいだすまでに、あるいはつかいだしてからも、かなりの心理的な抵抗があるものである。便利なことはわかっていても、なにか、いやな感じがする。

ノートでも同じだが、カードはとくに、長年つづけてやらなければ効果はすくない。


***4:きりぬきと規格化 [#be34a034]
***4きりぬきと規格化 [#be34a034]

だれでも写真機をもっているし、ずいぶん写真をとるくせに、とったあとは、ろくに整理もしないで、ほうりっぱなしということがおおいようだ。

企業というものは、一年二年の短期の生産計画でうごくものかもしれないが、われわれ知的生産業のほうは、10年あるいはそれ以上の期間をかんがえてうごかなければならないのである。


***5:整理と事務 [#v543b786]
***5整理と事務 [#v543b786]

もとの位置に「もどす」。

問題は、ひろさではなくて、空間の機能分化である。


***6:読書 [#l65585b9]
***6読書 [#l65585b9]

いろいろなケースをながめたうえで、これはほんとうにノートしておく値うちがあるとおもわれるところだけを、ノートにとるのである。

わたしにとって「おもしろい」ことがらだけであって、著者にとって「だいじな」ところは、いっさいかかない。


***7:ペンからタイプライターへ [#y7d76ffb]
***7ペンからタイプライターへ [#y7d76ffb]

どんないい発明でも、普及の方法がないのである。

***8:手紙 [#o4dc9889]
***8手紙 [#o4dc9889]

外国からの手紙は――(略)――日づけ、あて名、本文、署名と、型どおりにならんでいる。

まず自分用の手紙のひな型をつくる。

紙を二重にして、カーボン紙をはさんでうてば、手紙のできあがりと同時に、コピーもできあがるのである。


***9:日記と記録 [#yc6d8139]
***9日記と記録 [#yc6d8139]

日記は、自分自身のための、業務報告なのである。

どんな経験も「記録」がなければ、それはまったく無価値だ――すくなくとも科学としては無価値だ――という思想が、ここで鮮明にうちだされているのが、たいへんおもしろかった。

東大の泉靖一教授には、そのとおりの題名の「フィールド・ノート(野帳)」(新潮社刊)という著書があるが、この人も、文化人類学者として、わかいころから野帳をもちあるき、かきつづけてこられたのだった。


***10:原稿 [#v8852176]
***10原稿 [#v8852176]

よみやすくするためには、どうしても語と語のあいだをあける、いわゆる「わかちがき」を採用しなければならなくなってくるのである。


***11:文章 [#y781dba3]
***11文章 [#y781dba3]

文章をかくというのは、情報伝達行動である。伝達するにたる情報が、頭の中にできあがっていなければ、そもそも伝達しようという情熱がわいてこないものである。

分類するのではなく、論理的につながりがありそうだ、とおもわれる紙きれを、まとめてゆくのである。

KJ法については、かれの著書「発想法」(中公新書)をよまれることをおすすめする。









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**コメント [#ha9ac527]
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